自閉症スペクトラムと診断されて

2歳で境界知能ASDと診断された普通級に通う6年生男児を育てる母の子育て記録

インクルーシブ教育について思うこと

発達障害関連の記事を読むと時々目にするインクルーシブ教育。
なんとなく、ぼんやりとなのですが、インクルーシブ教育があまりは魅力的に感じないのは何でなんだろう?


インクルーシブ教育とは?


人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み。

障害のある者が教育制度一般から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。

文科省サイトから抜粋)
………………


私個人としてはインクルーシブ教育そのものが曖昧だしあまりよくわからない。
障害って一括に言うけど、本当にいろいろ。
どんな子でもその子に合った配慮はするから一緒に同じ教室で学びましょう。ということなのだろうか?


考え方は素晴らしいのかもしれないけれど、あくまで理想。
綺麗事を言ってるだけじゃないの?とさえ思う。
そんなにいいものだとは個人的には思えないのですが、そんなことを公共の場で言ったら人でなしと思われそうですね。
何でそんな風に私が思ってしまったのかちょっと考えてみたのですが、


①生活する地域において初等中等教育の機会が与えられることが重要だとは個人的にあまり思えない。


わが家の近所から特別支援学校に通われている方たちは、学校専用のバスで通学されています。
あえて地元ではない私立や国立小学校に行っているお子さんもいるし、公立小学校なのに学区の都合でバスなどの公共交通機関で通っているお子さんだっていますから、個人的にはあまり地域にこだわらなくてもいいんじゃないかと思うんです。


これはわが家のエリアが都内の中でも流動性が高い地域なのでそう思うのでしょう。
住んでいる人がほぼ固定されているエリアだとまた事情は違うと思います。
それに小学校の友達と大人になっても交流している率、10%以下ですよ。
小学校の友達なんて、たまたまその時近所に住んでいた子どもの集まりに過ぎません。
そう考えたら家の近所に必要以上にこだわらなくてもいいんじゃないの?と考えてしまう。
ただし学校は遠いより近い方が便利だし楽なのは事実かな。



②障害のあるものとないものが共に学ぶ仕組み

ここに違和感を感じます。
小学校以降は勉強が絡んできます。
前提として、座って授業が受けられること。
が必要なのでは?と思う。
真剣に集中して学びたい児童の権利だってありますから。

先生の数が少ないですから、特定の児童がお手伝い係になってしまうことも起こりうる。
実際私の小学生時代にも所謂障害児のお手伝い係が何人かいたんです。
たとえ児童の善意だとしても、特定の児童に多く負担がかかる状況が発生したとしたら、それってどうなのよ?と思わなくはない。


幼稚園や保育園だと年齢が低いこととと、先生方の懐が深いように感じるので、インクルーシブ教育が比較的上手く行きやすいと想像できます。
幼稚園時代、加配や特別な配慮無しで普通に過ごせてしまっていた息子が良い例です。


一口に障害、発達障害と言っても幅が広い。
インクルーシブが有効なお子さんと本人にメリットがあまり無い。もしくは配慮を受けたとしても通常学級で生活すること自体かなり難しいお子さんがいると思うんです。


通常学級に通うことでお客さん状態になるのであれば、まわりがいろいろやってしまうことで学びの機会が奪われることも多いのでは?とも思う。通常学級にいることのメリットとデメリットも考える必要がある。
近所かどうかよりも、お子さんの気持ちで学校を選んだり、お子さんが最も成長できると思う場所で学ぶのが一番なのではないでしょうか。
どのような環境が適切かは見極めるのが難しいとは思いますが、家族ではない誰かに相談できたり、家族が情報を知ることができて選択できる事が重要だと思う。



「公平と平等は違うし、差別と区別は違う。
」という言葉を聞いた事がありますが、なかなか考えさせられる言葉です。



現実に普通学級に障害がある子はいるわけで、ここ数ヶ月小学校を見てきた感想としては、先生方が今できる方法で、いろいろな特性の児童に対して配慮がされているように感じました。
これ以上色々な事を求めるなら、もう少し人員、予算をつけないと難しいんじゃないかな。



ちなみにうちの息子のクラスには息子を含めて発達障害児が2人いますが、排除されることもなく、他の保護者から苦情が出ることもなく、穏やかな時間が流れているようです。
6年って長いな、早く終わってくれと思う私です。