自閉症スペクトラムと診断されて

2歳で境界知能ASDと診断された普通級に通う6年生男児を育てる母の子育て記録

教育虐待と子育ては紙一重

最近、おおたとしまささんの著書「追いつめる親」を読んだのですが、なかなか身につまされるものがありました。

 

 

教育虐待は

①過剰に勉強させる、親の望み通りの点を取らないと虐待するなど、経済的に恵まれている過剰な教育熱心から引き起こされるもの

 

②勉強どころではない家庭環境で引き起こされるもの

 

とがある。

 

 

のんびり生きていきたい、勉強したくない息子にとって中学受験は酷なのかもしれません。

大部分の中学受験生にとって受験勉強は非常にハードなものですから。

 

 

かといって、伸び伸び育てたいと日々の勉強を全然せずに過ごして、学校のテストが20点とか本人的にありえない点数だったら、きっと息子は大泣きして落ち込むんだろうな。

 

 

どんな事もプラスとマイナス、光と影がある。

子育てに正解は無いし、子どもは子どもで1人の人間だから親の分身ではない。

ある程度誘導して親の思惑通りにできたとしても、結局のところ子どもの人生は親の思うようにはならないもの。

子どもに関して親は無力なんですよね。

子どもが何か壁にぶつかったとしても、親はそばに寄り添うだけで、結局本人の力で乗り越えて行くしかないですから。

ただ、衣食住の環境を整えて、愛情をそそぐ。

子どもに寄り添うだけ。

 

 

息子に勉強!勉強!習い事!習い事!といろいろやらせてしまっている私は、見る人から見れば立派な教育虐待(すれすれ)なのかもしれません。

当たり前ですが、自分が教育虐待レベルの子育てをしてはいけないと思っていますので、時にはのんびりする時間をあえて作ったり、遊ぶ時間、近所の公園とかでもどこかに出かけていろんな体験や息抜きをしてみたり。

メリハリをつけて過ごしているつもりなのですが、、、

 

 

完璧な家族なんて無いし、完璧な人なんていない。でも、私達夫婦の元に生まれてきて良かったなと思ってもらえるような家庭でありたいなとどこかで思っている自分がいます。

快適な空間で楽しく平和に過ごしたい。

お互いを尊重したい。

時には助け合い、苦楽を共にしたい。

 

 

息子や主人が元気で幸せでいてくれたら、それで充分と思う自分と、口には出さないのですが、いろんな欲が出てしまう自分がいますね。

『子どものため』

『あなたのためを思って』

あたりは呪いの言葉だよなーと思うので、それだけは子どもに直接言ってはいけないなと。