自閉症スペクトラムと診断されて

2歳で境界知能ASDと診断された普通級に通う6年生男児を育てる母の子育て記録

4歳11ヶ月時点の息子

2ヶ月に1回、発達確認のため臨床心理士の先生との個別療育時間があります。
最近行ってきたのですが、4個くらいあった課題は30分で終わってしまい、残りの20分は自由遊びをして、残り10分ありましたが終了。



すごく早く課題が終わってしまった事にびっくり。
本人が集中してやる気になってやると、すぐ終わっちゃうんですね。
不安な表情を見せたり、できない!とかやらない!が無くて私も息子の様子を落ち着いて見ていられました。



前回の個別は9月で、その頃は少し難しい「ん」とか「れ」とかのひらがなを国語教室で練習中で、国語教室やらなーい!とか辞める!とか言っていたんです。他のお子さん達も少し難しくなってきてつまづいていたらしい。
やりはじめれば仕方なくやるし、義母が励まして練習させるように懇願するので、今も習わせています。




まだいくつかのひらがなは書けませんが、練習してひらがなの大部分を書けるようになって、自分の名前や家族、親族、お友達の名前も書ける。
書けることが嬉しいし楽しいらしい。
最近は国語教室辞めたいとは言わなくなって、俄然やる気で毎週頑張っています。
ちょっとできないよー!難しいよー!をきっと本人なりに乗り越えたのでしょう。
先生のおかげなのか、お友達のおかげなのか…
私が教えても身につかなかったと思います。




臨床心理士の先生がひらがなで自分の名前や数字も書けるようになっている息子を見て、ちょっと前には書くことを嫌がっていたのに、できるようになっているからものすごくびっくりしていました。
「しっかりとえんぴつを持って書けていますね。出来るようになってよかったですねー。ジャンパーのファスナーも自分で出来るようになっていたり(4歳9ヶ月くらいで出来ていた)、すごく成長を感じます。4歳でここまで書けていれば十分です。順調ですね」と言われる。




しりとりをしている効果だと思いますが、語彙がさらに増えてるし、形容詞とか動詞など他の部分がさらに増えるといいですね。とのこと。
それはいつも言われるし、私も頑張ってますけどなかなか増えないのよね。
会話が名詞中心で年齢にしては内容や表現が幼いと言うか。



反対言葉も自宅ではカードを使って遊び感覚で覚えていて、理解していると思っていたのですが…
「長い↔短い」はわかるけど、例えば「ブタの鼻は短いけどキリンのクビは?」とか文章で聞かれると答えられないの。
頑張って長期間かけて反対言葉を覚えさせたと思っていたから、結構ショックでしたねー。
反対言葉わかってないじゃん!って。
それ単品で覚えているだけではダメで、文章として使えるようにならないと覚えさせても意味がないなぁ。と気づく。
反対言葉覚えました、じゃあ普段の会話にも取り入れられますね!ではなかった…
絵本なども使いつつ、私が日々の関わりの中で使える形容詞、動詞、反対言葉を促していこうと思います。



親が頑張らなくても、駅名覚えるみたいに勝手にいろんな言葉を覚えてほしいなぁ。

2年経過して思うこと

息子が2歳11ヶ月の時に自閉症スペクトラムと診断されました。
早いものであれからもう2年が経過したんですねー。



病院に行くまではうちの子何かがおかしい、癇癪がひどくて意思の疎通が出来ない。育てにくいし言葉など発達が遅れていると思っていました。
で、案の定診断が付いた。



たった1人の愛する息子が障害児だという現実にショックを受けましたよ。
診察室で泣きましたから。
診断名にあーやっぱりね。と納得はするものの、これからどうしたらいいのかわからなかった。
主治医も丁寧に育ててあげて。療育に週1で通わせてあげて。とりあえず幼稚園に入れてと言われただけ。
その当時は、夜中に毎日絶望して泣いていましたね。絶望ってこういうことを言うんだなって。
何でたった1人しかいないうちの息子が障害児なの?
こんなことになるなら、結婚なんてするんじゃなかった。子どもなんて生まなければよかった。
2歳くらいの頃は息子といると、普通に行動することさえままならず、しんどいばっかりであまりかわいいとは思えなかったんです。
障害があることでますますかわいいと思えなくなった。
かなり不謹慎ですが、障害がある子は私の手には負えないし要らないとさえ思いました。



息子の発達は明らかに遅れているし、日々接してると本当に何をするのも大変だったし問題山積みだった。
泣いている場合じゃなかったので、療育施設をネットで探して片っ端から問い合わせて、あちこちの療育施設にアポを取って話を聞きに行ったりする日々が2ヶ月くらいは続きました。
大げさだなと思われるかもしれませんが、ひどい癇癪。偏食。親の言うことを理解できず聞かない子ども。おむつも外れていない。2歳になっても夜泣きするし、夜中によく起きる。何度教えても嫌がりが半端なかったり理解出来ない。会話が一方的で成立しない。しかも時々意味不明な言葉(ジャーゴン)を話している。
とにかくうちの子普通じゃない。
こんな状況なら死んだ方が楽。自分だけ死のうと思った事も1度や2度ではありません。
時には息子や主人に暴言を吐いたりもしてましたし、周りは私のストレスには気がついていないようでしたが相当病んでいたと思います。
一人の時間が欲しくて、診断後数ヶ月は主人に頼んで、土日の数時間はコーヒーショップで息抜きさせてもらいました。
といっても、読んでいる本は自閉症スペクトラム関連の本なんですけどね。




そうは言っても自分の息子ですから、とにかく息子の為に何とかしなきゃ。やれることは全部やってあげたい。出来ることを増やしたい。不適切な行動を減らしたいし幼稚園に普通に通って欲しいという思いだけで、この2年間突っ走ってきました。
意見が合わず主人と大喧嘩したことも何度もあります。別れて主人に息子を引き取ってもらうか、施設に預けるか、義母が育てたほうがいいのかもしれないと真剣に思うこともありました。
主人の事は後回しで息子の事ばっかりになっている部分もあるので、申し訳ないなと思うことが今でもあります。



療育歴たった2年ですが日々忙しく、とても濃い育児をしていて気が抜けない。
どういうところが苦手か、できないか、課題なのか子どものことを把握するのも大変。それを踏まえて療育的な関わりというか、フォローしてあげないといけないけど、調べたり人に聞いたりと考えることも多いし、何かを実践してもなかなかうまくいかない。それが今も続いています。だから疲れるんですよ本当に。
ストレスなのか、忙しいからなのか常に具合が悪くて、胃薬、頭痛薬、風邪薬のどれかは必ず飲んでるし、栄養ドリンクやサプリメントに頼ってなんとか日々をやりすごしてますが、2ヶ月に一度はものすごく具合が悪くなる。



こちらから通わせて欲しいとお願いした療育ですが、はじめは通うのにやっぱり抵抗がありました。親も付き添ってクラスに参加しないといけないのと、毎回息子の出来ない部分や、出来ることをやらない姿や大泣きしているのを目の当たりにするのはしんどいです。
できるはずの課題をやらない、参加しないのに、療育通わせる意味があるんだろうか?と何度も思いましたし、やらないなら行っても仕方ないからお教室(療育クラス)行かないよ!!
と息子に怒ることもありました。



他の人には言えない、言ってもわかってもらえない、みんなが知らない場所に通っているというのは本当に嫌でしたね。
まぁ今でも双方の祖父母や定型児を育てるママ友、幼稚園には息子の障害名や療育の事は話していません。
トラブルも今の所ありませんし、大多数の人に気が付かれてさえいないと思うので、主治医が言うようにあえて言う必要も無いなと思っています。



今では息子に療育を受けさせる事が生活の一部になってはいるものの、疲れていて行くのが面倒くさいなと思うことは多々あります…
知り合いが増えたし、施設自体は和気あいあいとしていて、先生方が楽しい雰囲気を作ってくださっているので、そこそこ楽しい時間を過ごすことが出来ています。
ものすごくゆるい幼児教室的な感じでしょうか。



いろいろな方々のお力をお借りしてるおかげなのか、現在の息子は今のところ幼稚園で特に困ることも無く過ごしています。
正直、息子がここまで幼稚園でやれるとは思いませんでしたよ。想像以上です。出来過ぎなくらい。
入園して1年くらいはいつ幼稚園をクビになるかとハラハラしていましたしね。



言葉の面での成長も見られて、そこまで言語面は遅れていないようですし、癇癪がほぼ無くなったこと、自発的にいろんなことに取り組める事が増えたこと、親の指示にだいぶ従えるようになったことで私も少しですが息子と一緒に過ごすのが楽になりました。
ですが日々、息子がどうしたら課題を出来るようになるのか?IQ的な伸び、身体づくりとか、いろんな事を考えてしまって、親の私に気持ちの余裕はまったくありません。
今は就学に向けての事や体力作り、知的能力、社会性などの課題があるので、診断直後とは違う大変さやストレスがあります。



このまま無事に卒園して、小学校の通常学級でも問題なく過ごせるように、いろいろな方に相談したり情報を得て取り入れつつ、今のうちからやれることは引き続きやっていこうと思います。
私も毎日忙しいし、どうしても疲れてしまうので、寝込まない程度に子育て頑張ります。

これからの子育ての方向性

少し前に花風社の浅見淳子さんの講演会を聴きに行って、今後の子育ての方向性で参考になることばかりでした。
お話を踏まえて、我が家でもやって行きたいことなどを考えてみました。



幼児期から体力作り。
感覚統合。
社会人になってフルタイムで働ける体作りを幼児期から就労までの間に一貫して行う。
とにかく義務教育には通う。(その為に親はフォローする)



持っているものを活かして生きていくことが大事。
本人が得意なところで勝負して生きていくのが効率がいいので、ある程度わかる年齢になったら本人にも自覚させ、そのバックアップを親が行う。
悪いところがあってもそれを生かせる道を考える。
子どもが何かに挑戦したいと思ったときに、親が後押しできるようにすること。



学校は勉強と集団行動を学ぶ場。
先生に必要以上の事は求めず、親が発達障害を直していく、親が家庭で積極的に関わっていく。



言葉以前の世界(愛着)があって、言葉以前の関わりを大事にしていく。



発達障害児は思春期に問題が出て来ることが多い。
子どもは思春期にそれぞれが乗り越えなくてはいけないことのやり直しをしているために親はうろたえてしまう。
親や周囲は生育過程で失敗させないようにしてしまうが、親はあえて失敗させる勇気を持つ。
小さな失敗をいっぱい経験しておくと、この世の終わりではないと思える。
自己治療は本人にやらせると下手なことが多い。
放置せずに周りが関わる。



早期支援は受けてあとは離れる。



幼児期は体力作り系(スイミングや体操服)と感覚統合、の他にも集中力を高めたり、絵本や遊びを通し知的好奇心を促し、就学に備えて入れられるものは親の働きかけで入れていく。


入学は通常学級

習い事は体力作りと塾は必ずで、あとは本人のやりたいことも尊重してやらせる。


……………………………………


書いてみるのは簡単だけど、実際子どもと向き合うのは本当に大変だと思う。
まずは就学に向けて体力をつける習い事(スイミングと体操)をさせていますが、療育と習い事の送迎と付き添いにと親も結構な負担です。
まぁ、出来ることからやっていくしかない。
幼児期は残りわずかですし。



浅見さんの話は参考なること、勉強になることばかり。
今まであやふやだった子育ての方向性が、今回のお話を聞けたことである程度見い出せましたし、講演会だからこそ、本やブログには書けないようなお話も聞けて、講演会行った価値があったなと思いました。
また機会があったら是非お話を聞いてみたい。

他人からの質問に答えられないと困るよ…

最近、あまりにも足が痛いと言うので病院に連れて行ったのですが…


一番痛いところを指差してみてと先生に言われ、手全部でざっくりと指していて、先生に人差し指で指してと言われても1回言われただけではできなかったり。
朝は痛いの?と聞かれても答えられなかったりとか、質問に全然答えられないの。
先生もそんなに難しい質問してないのに。
痛いのは夜だけで、今は足が痛い訳ではなく体調も良かったので答えられそうなものなのに。
知らない医者に聞かれて、怖いから答えられないのか、聞かれた事に答えられない事が他のお子さんにも多少はあることなのかもしれないけど、私は事前に見通しを持たせてどこが痛いか聞かれるからと説明してはいたんです。
よく知らない人に聞かれた事や自分の現状を説明できないのはこういう時に困ります。
他にも、あまり親しくない先生だったり、お友達のママに話しかけられてもフリーズしてたり、無視してたり、わからないならわからないも答えられない。私が近くにいたらフォローできるけど、いつも私が近くで息子を見ていられる訳ではないし。



結局は私がフォローして答えましたけど、医師にしてみれば、診断するために本人から状況を直接聞きたいわけで、情報が聞き出せないから困ってしまっていました。
それだけではなくて、靴と靴下脱いで歩いてみてとか、診察台に寝てみてと言われても、すぐにはできずに結局私がフォロー。
医師からこの子はいつもこんな感じなの?と聞かれてしまいました。
なので、内弁慶で知らない大人や親しくない人とお話するのが苦手なんですとは言いましたけど。
仕方ないです、その医師は普段年寄りばっかりと接してるんですから。



人に自分の事が説明出来ない。聞かれたことに答えられない事が、発達障害児だからなのか年中くらいだとそんな程度の言語理解力の子もちらほらいるものなのか私にはよくわかりません。
事前にお医者さんに足のことどこが痛いのかお話してね。とは伝えてあったので、親としてはがっかりというか、やっぱり自閉症スペクトラムゆえのコミュニケーション能力に難有りだなーと改めて思いました。
あと、靴脱いでその場で歩いてとか本人が予想もしていないようなことを言われると、すぐには理解できずフリーズしてしまって、ワンテンポもツーテンポも遅れて行動になってしまうのか…とちょっとしたことですが、うちの息子、いろいろ残念だなーと思いました。
まぁ、やらない!と言われるよりはマシですが。



病院での待ち時間が長かったのですが、座っておとなしく待っていられたので、そこはすごく成長したなーとは思いました。



今回はたまたま病院でしたが、挨拶を含めて最低限の人とのコミュニケーションが取れないのは、今は年中だからそんなものか程度で済んでしまうけど、もう少し成長したら本人が誤解されてしまったり困る場面が出てくるだろうな。

ソーシャルスキルトレーニング(SST)は週1回の療育でやってもらってはいるし、療育の先生にも人との関わりやコミュニケーションをやっていきたいとは伝えているので、来年度も引き続きやっていく必要があるなー。と改めて思った出来事でした。

見てみぬふりして何もしない親は罪深いと思う

息子の通う幼稚園は、地元では人気の園なので園側も明らかに園児と親を選んで入園させています。(私立ですからそれは仕方ないかな)
表立って言ってはいませんが、発達に問題があるお子さんは基本門前払いな方針の幼稚園。
発達障害児は息子くらいかと思っていたのですが…



1学年100人以上いるので、やっぱりいるんですよねー、何かあるのでは?と違和感を感じるお子さんが。
残念ながら息子のクラスにもいるんですよねー、先生が別対応するほど顕著な子が。



行事とか見てたら、あまりにも他のお子さんと違うからわかるのよね。これって療育ママあるあるかも。いろんなタイプのそういう子沢山見てるから。
そのお子さんのお母さんはどこか諦めてしまっているのか、ただ単純に頭が悪いのか、いくら先生が困っているとか、お友達に困った行動をするなど注意しても、危機感をまったく感じず聞き流してるの。
どこかに相談するわけでもなく何もしていない。
最近ママ友と話してたら、隣のクラスにも乱暴だったり、集団行動や指示理解が難しかったり、いろいろと問題アリのお子さんがいるそうで…



息子は発達障害児ですが、おそらく受動型だからか少なくとも先生の手を煩わせることはほとんど無いし、他害行為も無いし、幼稚園の行事や日々のやることについていけないということも無い。
先生にも大丈夫です!と言ってもらえるような子。
それはひとえに本人の頑張りというのもありますが、幼稚園でトラブルが起こらないようにと私も考えて息子と接していますし、日々の少しづつの努力と療育のおかげでなんとか乗り切っていると思っています。
幼稚園でやっていけるように、まわりの方々に過度のご迷惑をかけてはいけないと思い、時には専門家と相談して我が家は手間も時間もお金もかけて全力で育てているんです。
何もせずに今、普通に幼稚園に通えたりお友達と関われたり、行事がこなせたりな良い状態になっているわけではないんです。
だから、ちゃんと子どもと向き合っていない親にめちゃくちゃ腹が立つんだろうな私。




親が子どもの異変に気がついて、関わり方を考えて行動すれば多少なりとも子どもの現状を改善できるのでは?と思うんですよね。
その子やその子の親がちょっとおかしいのはどうすることも出来ないけど、他の子(複数)に極端に迷惑をかけるのは違うんじゃないかなぁ。
加配の先生もいない状況で先生に他の園児とは別対応させるってどうなのよ?
それって幼稚園では普通のことなの??
同じお金払ってるのにねぇ。
うちの息子に限った話ではないけど、ほっといても問題無い子、やれる子って扱いで放置され気味。
詳しくは書きませんが、一方的に迷惑かけられてお互い様にも限度があると思うんですよ。



そういう他害児お母さんに限って、迷惑かけるかもしれないけどすみませんみたいな雰囲気とか、低姿勢さや謙虚さというか、そういう感じが一切無いの。迷惑かけてるのに適当な謝罪しかされなかったから。
子どもに関してきちんと関わっている感じが垣間見られれば、親御さんはお子さんに対して頑張っているんだって察することが出来るし、こちらも察して何も言いませんよ。そんな感じてもなく育ててるから、余計に腹が立つんです。人間小さいんで。



子どもの現状を見ないで、子どもに合った対応をしない親に本当に腹が立ちます。
他人の私たち夫婦から見ても明らかにおかしい。うちだけではなく、他のママ達にもあの子変だよねって違う目で見られてるのに。
それがね、その子のお母さんがいろんな親御さんと多少のコミュニケーション取っていたらそんなふうには思わないし、怒りも爆発しないよ。あー、お母さん頑張ってるんだなとか思いますよ。
病院に連れて行ったり、自治体の専門機関に相談しないって、子どもの将来より自分の体裁しか考えられないってことじゃない?
まず子どもの問題行動に対処しない親ってどうなのよ?(先生が家では何もしていない様子と言ってた)
障害があるとか無いとか、そんなことは置いておいて、出来ることは全部してあげるのが親の義務だし愛情なんじゃないかなと思うんですよ。
そのご家庭が日々の生活に精一杯で、子どもの問題行動まで頭が回らないのか、問題とさえ思っていないのかその家庭の事情は知りませんが、子どもの人生を考えたら専門家のサポートは早く受ける方がいいに決まっています。
少なくとも最近までうちはそのお子さんに迷惑していたので。園側の配慮でトラブルも収まりましたが。



そう思う一方で、子供の頃明らかに他のお子さんとは違っていても、普通の社会人として生活出来ている人もいるわけで、どういうふうに子どもが育っていくかは誰にもわからないとも思うんです。



不登校になっていたり、立ち歩いたりなどの問題行動が多い小学生って、就学前にもきっと予兆はあったはずと思ってしまうんですが、実際はどうなんでしょう?
小学校で、息子の勉強や学校生活の極端な邪魔をされたら普通に嫌だなーと思いますよ。
幼児期にいろいろやってあげると、後々本人が困らないと思うんですけどねー。
幼児期の息子に違和感を感じて自発的に専門医の診察を受け、比較的早期に療育に通わせている私は、世の中の少数派なのだと改めて思います。

自閉症スペクトラム マッサージ

ここ数ヶ月、息子が足が痛いと言うんですね。
ふくらはぎかな?と思ったら、足の裏が痛いらしい。
主人や私が足をマッサージすると、「もっとやってー!!」と催促される。
で、夜寝る前に毎日ではありませんが、気がついたときに足の裏を中心にマッサージして、足の裏に湿布を貼って寝かせてたりしています。


マッサージをして、息子の何かが変わった実感はありませんが、調べると下記の論文を見つけて、発達障害児には親がマッサージをしてあげたほうがいいんだなと思いました。
デメリットは親が疲れる。くらいでしょうか。




ネットで見つけた論文


発達障がいをもつ子ども達にとってマッサージは、

1)自律神経の調整に役立ち、さらに攻撃的行動や対人関係に変化をもたらす

2)親(身近な大人)との情緒的絆を築く助けとなり、触れられることに耐えるといった基本的な自己コントロールの力をもたらす、ことが示された。


そのことから、触れられる体験の必要性および緊張(警戒状態)からの回復という点で、発達障がいを抱える子ども達に対する早期からの足裏マッサージは有効と考えられた。




発達障がいについて、発達障がいを抱える子ども達への家庭や教育の場での関わりについて、数多くの本が出版されている。
しかしそのほとんどは子どもの攻撃性や社会性等その行動特性に注目したものである。
確かにその特異的な行動は周囲との生活のなかで目立ち、問題とされがちであるが、しかし発達障がいを抱える当事者の側から見ると、子ども達はそうした行動をとらざるを得ない背景として、さまざまな生理的な困難を抱えているのではないだろうか。


神経学的あるいは生理学的な側面から発達障がいを見いだそうと日々研究が進められている。
しかし現在のところ脳の機能障がいであることは言われているが、その原因はまだわかっていない。そういった現状のなかで、子ども達は薬物治療や心理学的な治療・療育を続けているが、やはりそれは行動上の問題を軽減することへの注目から考えられている。
本稿では、発達障がいの子どもが抱える生理的な困難さに注目し、その軽減や解消をめぐる方
法として試みられ始めているマッサージについて考察する。


1.発達障がいと自律神経の調整機能
発達障がいを抱える子どもたちは、

「注意・集中が苦手である」

「非常に敏感な感覚部分と非常に鈍感な部分という両極端の感覚をもつ」

「衝動・欲求をコントロールするのが苦手」

「片付けが苦手」

などの特徴をもつ。これらの行動は、周囲の人々に対して大きな混乱と不安を引き起こし
ているため、集団生活上問題とされることが多い。


一方発達障がいをもつ子どものほとんどに見られるもう一つの特徴として、きちんとした診断
がつかないまでも次のような自律神経の機能不全があげられる。

たとえば、なかなか寝付けない、
起きにくい、夢遊病、寝言を言う、悪夢をみるなどの睡眠障がい、寒さをあまり感じないため真冬でも半袖半ズボン・裸足で過ごす、なかなか汗がかけなくて夏の蒸し暑さにとても弱い、すぐにバテてしまう、などの体温調整の不調、大食漢だがやせている、下痢気味、便秘気味など消化不良である。


このような状態について神経心理学の研究では、「注意欠陥/多動性障がいをもつ人は副交感神
経、とりわけ迷走神経の働きが比較的弱いと言われてい
るという。


つまり注意力が散漫な状態も多動な状態も、ともに交感神経が優位な状態であり、それは「重要でない刺激への関心を制御できないために常に緊張している状態」

と考えるのである。こうしたことは、アスペルガーを抱える人たちにも「疲労感に対して鈍い」「ト
イレは直前まで気づかない」「体温調節ができない」という表現から共通した状況を見いだすことができる。

不眠や体温調整の不調、あるいは便秘・下痢などの状態は、発達障がいを抱えている、いない
に関係なく、ストレスが過剰にかかっているときや更年期障がい等でも一般的に見られる状態で
ある。
そうしたときの状態から身体の状況を想像してみると、自律神経が適切に機能しない状態
は身体的にも精神的にも苦痛であり、日常生活にも支障がでることもまれではない。たとえ遅刻をしないでがんばって行こうと思っても朝なかなか目覚めず身体が動かないために、時間通り出かけられない。暑い中でもサッカーを友達と楽しもうとボールを追いかけても、すぐにバテてしまう。こうした体験は子ども達にとって日常生活において意欲や集中力を減少させ、さらには結果としてみんなと同じようにできない自分を感じ、自信を失うことにつながるだろう。



発達障がいをもつ子ども達の日常は、このような生理的困難そのものが苦痛であり、それへの対応で全神経を常に尖らせている(緊張させている)状態といえる。したがって日常生活あるいは周囲の仲間や状態に注意や関心を払い、広げていくことは非常に困難であろう。
そこでこうした生理的困難さを少しでも緩和・減少させることは、生活そのものを楽しく楽にしていくことにつながり、さらには、快適なゆったりした状態で他者や環境と向き合うことができれば、行動の改善も可能になると思われる。これまで多動や注意集中困難な状態についてはリタリンあるいはメチルフェニデートといった向精神薬が使われてきたが、依存性があるなど大きな副作用が報告されている。また不眠や消化不良、抑うつ状態等についても、重篤な場合は薬物での治療が行われてきたが、長期に渡って飲み続けることで、これらについても子どもの身体への大きな負担が心配される。
こうした観点から、近年身体に負担のないマッサージの効果について調査が進められている。

2.身体と足のマッサージ
統合医療の分野では代替治療として、自律神経の調整を目的としたボディーマッサージや足の
反射区を利用したリフレクソロジーの施術が行われており、これに関する調査研究も最近 10 年程
の間に試みられている。
1)マッサージ
ヨーロッパでは古くからマッサージが行われており、抑うつ、痛み、免疫疾患、仕事や老化および妊娠に関するストレス状態に関して、症状の緩和・軽減効果をもたらすという多くの臨床が蓄積されている。そこでは、強いタッチのマッサージによる副交感神経の高まりが、こうした効果をもたらすメカニズムの根底にあると考えられている。また生化学的な研究においても、マッサージを通じて発散されすぎていたコルチゾールが減少しストレスが緩和すること、神経伝達物質であるセロトニンドーパミンが増加することで身体的に活性化されることがわかっている。そうしたなかで、近年自閉症ADHD を初めさまざまな障がいをもつ子ども達に対するマッサージの効果について調査研究が進められている。


自閉症と親子の絆
マッサージセラピー後の自閉症児の行動改善についてアメリカの調査研究がある。
20 人の自閉症の子ども(3~6歳)を二つに分け1ヶ月間、マッサージグループは毎晩寝る前に 15 分間親が腕、手、足、胸と腹、背中をマッサージし、非マッサージグループには毎晩寝る前にお話を読んで聞かせた。その結果、集団保育場面での観察において、マッサージグループは非マッサージグループに比べ保育室や園庭では集中力が高まり、ステレオタイプの行動が減少し、物事に取り組みやり遂げる力があがり、社会性についても改善された。これはマッサージにより副交感神経の活動が高まった結果であるという。さらに夜ベッドに置いていかれると大騒ぎしたり泣き叫んだり自傷行為をしたりという状態も見られなくなり、深い眠りにつくといった睡眠の改善が見られた。


イギリスでは、自閉症の子どもに対し親がマッサージをすることによって得られる効果が測られている。9人の自閉症児(2~13 歳)に、それぞれの親がマッサージを習い、16 週間毎晩施術した。施術前と施術中および施術後におけるインタヴューと、記入されたシートをもとに分析が行われた。その結果、親は施術前には基本的に子どもに近づくことができないと感じ悩んでいたが、マッサージを続けた後には、身体的にも心理的にも子どもに近づ
いた感じがするという。また子どもの変化としては、マッサージを受けて睡眠のパターンが改善したように見受けられ、よりリラックスし、親に触れられても心地よくしたがっている様子が見られた。さらに家で子どもがマッサージを要求するようになったという。こうしたことから、自閉症児に対する親のマッサージは親子の情緒的な絆を強める助けとなるという。

ADHDと穏やかなマッサージ
Field は、アメリカで ADHD の青年がマッサージセラピーから得る効果を調査している。
28 人の ADHD の子ども達(平均 14.6 歳)を2つのグループに分け、1日 15 分のセッ
ションを学校で連続 10 日間、一方にはマッサージセラピー(セラピストが穏やかなストローク
首の上下、首から肩への上下、首から腰、腰から脊椎に沿って首へとそれぞれ5分マッサージす
る)を、もう一方にはリラクゼーションセラピー(マッサージグループと同じ箇所を緊張させた
り弛緩させたりする)を行った。その結果、リラクゼーションのグループとは異なり、マッサー
ジグループの子ども達はよりハッピーになったと自己評価し、また第三者の観察においてもセッ
ション後そわそわする様子が少なくなったという評価だった。さらにその後の2週間において、
マッサージグループの子ども達は授業中やるべき仕事をしっかり行い、多動についても減少した
と、子ども達の所属したグループについて知らない教師からの報告があった。このことからマッサージセラピーは、ADHD の子どもの多動レベルを下げると考えられるという。


スウェーデンでは、マッサージによる就学前の子どもの攻撃性を軽減する効果についての研究がある。
市内のデイケアセンターにいる4~5歳児に対し、午睡時(午後の休息時間)の休憩室で、9つのセンター(60 人)ではスタッフが毎日マッサージをし(マッサージグループ)、6つのセンター(50 人)では全体でお話や音楽を聴く(コントロールグループ)という活動を課業とした。
マッサージは一人5~10 分行われ、それぞれの場所を少なくとも3~4回ゆっくり叩き、痛くない程度に揉んだ。最初はどの子どもも背中から始め、子どもが望めば他の場所に広げていくという方法をとった。これは子どもが心地よいと感じることがとても大事であるという考えからとられたもので、一人ひとりの感覚に合わせて行われた。
多くの子どもは手、腕、背中、首のマッサージを望み、拒否した子どもはいなかった。
親とスタッフによる子どもの行動チェックが、マッサージを始める前、3ヶ月後、6ヶ月後、12 ヶ月後になされそれらを統計的に分析した結果、全体的には両グループとも子ども達の社会性や注意力、攻撃力の問題が改善し、グループ間の違いはなかった。
しかし、全体の中から攻撃性や逸脱行動のある子どもを抜き出して分析してみると、マッサージグループの子ども達は、攻撃性や身体的問題に関して3~6ヶ月後の評価で大きく減少しており、社会性の問題も6ヶ月後には減少していた。
また 12 ヶ月後には、攻撃性がさらに減少または消失していた。一方コントロールグループでは、攻撃性は一般的に年齢とともに減少すると言われているにもかかわらず、3ヶ月後の評価では改善されているのに、3~6ヶ月後の評価では悪化していることが示された。このことから、デイケアのスタッフがマッサージを行うことで、長期的にみて子ども達へのマッサージ効果は強化され、維持されたと考えられるという。


こうした研究から次の2つのことが考えられる。

自律神経の調整と行動の変化

マッサージにより自律神経の調整が行われると、それによって子どもの抱える身体的な苦痛が鎮痛・緩和され、また攻撃性が高く注意力散漫な行動の調節を促進する効果が現れるというプロ
セスがある。ここでいうマッサージがもたらす自律神経系への刺激は、マッサージ前後に測定さ
れた深部体温、血圧、心拍数の変化により確認されており、身体的苦痛の鎮痛・緩和や逸脱行動に関する調整機能の促進は、こうしたリラクゼーションの体験のなかで現れるものと考えられる。


大事な人との情緒的絆と自己コントロール
子どもはマッサージにより、それを施してくれた相手との間に情緒的で親密な絆をつくることが期待される。その相手とは子どもにとって身近な大人であり、その多くが親であり、時には保育スタッフや教師である。
スウェーデンの研究においても 10 歳以下の小さな子どもたちに対して「個人に合わせたマッサージ」「個人への注目」など、子どもと1対1で向き合う関係作りが意図されている。
さらに自閉症の子どもたちがもつ感覚過敏の障がいは、親に触れられることにより改善していくことが示されている。やさしく触れられることによる心地よさを体験すると、次第に触れられることを受け入れ理解し、楽しむ子どもたちの様子が観察されている。これは、子どもたちがこうした触れられる経験を通して、触れられることに耐えるといった基本的な自己コントロールの力をえたのではないかと考えられる。それは、子どもたちは自分一人の世界から共有する世界へと歩き出すベースとなり、実際にこうした調査においても言語的にも非言語的にも、より高いコミュニケーションをとることが明らかになった。
このように、子どもが心地よい身体的体験を共有することにより親(あるいは身近な大人)と子どもの情緒的絆(アタッチメント)ができると同時に、
「ここをマッサージして!」という要求とそれに
答えるやり取りとして子どもの身体への共有が起こる。そこからさまざまな事柄への親子の共有が広がった。



日本では、足裏の反射区を刺激すると対応する身体の部分の血流が良くなることを実験している。
腰椎と僧帽筋に当たる足の反射区を手で揉み、揉む前と揉んだ後の実際の腰と肩の血流の変化をサーモグラフで測っている。それぞれ5分間強めに刺激すると、11 分後あるいは3分後にサーモグラフィの変化から血流が増えていることがわかった。
また、足の内側のくるぶしの下にある後頸骨動脈の血流速を血流速計で測っている。結果は、初めて揉んだときには、揉む前と後では大きな違いはなかったが、毎日揉み続け3ヶ月後、5ヶ月後、1年1ヶ月後には揉む前より揉んだ後の方が血流はかなり多くなっており、さらに各回の測定値は揉む前も揉んだ後も確実に高くなっていった。このことから、長期に渡って足を揉み続けることは、身体の血液循環の改善に大いに役立つという。

機能的 MRI を用いて足裏反射区の刺激に対する脳の反応箇所を測定した研究もある。
18~41 歳の 25 人に対して目、肩、小腸にあたる左足裏の反射区を5秒ずつ 15回刺激し、それが脳のどの部位に反応するのかを機能的 MRI を使って測定した。分析の結果、目の反射区を押すと大脳の左側中心後回の中央部が、小腸の反射区では左側中心後回の上部がそれぞれ有意に活性化した。左側中心後回は体性感覚領域であり、中央部は目を含む顔に対応する領域、上部が体幹の感覚領域に対応する領域と言われている。
肩の反射区への刺激については有意な脳活動は認められなかったが、右側中心後回上側の上腕に対する領域の活性化の傾向が見られ
た。さらに3つの反射区の刺激に対して共通した反応として、右側中心後回上側と左側中心後回中央部が活性化した。前者は足に対する感覚領域であることから、左足の感覚刺激に対する活性化と考えられるという。

後者については、リフレクソロジーによる刺激に対し、何か特異的な反応をする領域である可能性が示唆されている。
こうした生理学のデータからわかることは、①リフレクソロジーによって施術中は副交感神経が刺激されリラックス状態になり、全身の血行もよくなる②揉むことを長期間続けることにより血行の良い状態(自律神経の調整が良好)を維持することが可能となることである。また反射区と身体の部位との関係については、それぞれ対応する箇所がある可能性が示唆されている。



発達障がいを抱える子ども達への足裏マッサージ
触られる(touch)体験の必要性

子どもがマッサージを受けるということは、その間他の人に触れられているということである。
これまで見てきたように子ども達は毎日必ず 10 分~15分大事な人からやさしく触られることで、
自律神経の機能がうまく働き、さらに心地よい体験を通して、緊張がとれ優しく触ってくれる人
との心理的絆ができてくる。これは、通常子どもが生まれてから早期に体験する一連のプロセスである。

ところが、発達障がいを抱える子ども達は、感覚異常といった障がいゆえに、多くの子どもにとって心地よい「抱かれる・触られる」行為が生理的に苦痛なものであることから、こうした機会が少ないことが容易に想像される。さらに、子どもが触られること・抱かれることをいやがるだけでなく、一緒に生活する大人(親)の方も、子どもを抱きあげようとすると泣かれたり無視されたりといった経験が重なり、多くの場合次第にこの子に触ってはいけないと思ったり抱くことをもあきらめていくことになる。こうした日々のなかで、当然のことながら子どもの身体は緊張を増し、本来持つ感覚の敏感さあるいは鈍さがますます強固になっていくと考えられる。
したがって、こうした子ども達は触られることへの抵抗が少しでも弱いできるだけ早い時期からマッサージを受けることで、触られて全身が弛緩する心地よさを知ることが重要と思われる。
身体の弛緩における副交感神経の働きが高まれば、自律神経の機能がうまく働き、睡眠や体温調節などのコントロールが可能となり、さらに知覚に関するコントロールの促進も期待できる。


足裏マッサージの意義
足裏のマッサージについての効果を探る試みは、全身のマッサージと異なり、子ども、さらには発達障がいを抱える子どもに対してほとんど行われていないため、実際にその効果を裏付けるデータが無い現状にある。しかし大人への足裏マッサージあるいは足裏反射区への刺激(リフレクソロジー)によって、身体の血液循環が促進され、同時にストレス時に見られるような心理的苦痛からの回復が報告されている。
ところで、動物は歩行することで、身体の末梢にある足裏は常にさまざまな刺激を受け、それにより血行が促されていると考えられる。身体の末梢の血行が良くなるということは、身体全体の血行が促進されなければならず、歩くことによってそれが自然に促されていたと推測できる。
しかし人間は二足歩行となり、さらに靴をはくことで足の指や足裏が固定され歪められて、血行が悪くなっていく。四本の足で体重を支えていたものが、半分の二本の足で全身を支えることになると、当然のことながら二本の足への負担は大きいものとなる。しかも従来の前足に当たる人間の手は、道具を使ったり触ったりすることで常に刺激を受け続けているが、後ろ足については、以前のように生活のなかで自然に血流が良くなることが少なくなってきたのではないだろうか。
そうなると、自ずと足の疲れも回復しないままとなる。
足裏を揉む行為は、全身のマッサージと異なり、直接足を刺激して血行を促すものであり、先
の生理的実験が示すように全身を揉まなくても足だけで全身の血液循環をも促すことが可能となる。
Jissen Women's University
NII-Electronic Library Service

THE BULLETIN OF JISSEN WOMEN’S JUNIOR COLLEGE VOL.31 (2010)
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このことはその昔、私たち人間が裸足で歩いていた時代の自然なマッサージのプロセスと重
なる。また運動をして血行を良くすることに比べ、足裏のマッサージは副交感神経を優位に働か
せるため、心拍数は下がり心臓への負担が少ないことがわかっている。
したがって同じ時間マッサージをするのであれば、全身ではなく足裏に時間をかける方法が有効ではないかと思われる。


おわりに
発達障がいを抱える子ども達にとって、身体の緊張をほぐし人間関係の基礎となる身近な大人
との情緒的な絆を築くうえで、早期から定期的にマッサージをすることは重要であり、とりわけ
足の裏へのマッサージは効果が高いと考えてきた。薬を飲むことに比べ副作用はなく経済的な負担もほとんどない、さらにだれでも気軽にできるという点でも足裏のマッサージは注目できる。

発達の遅れ、気になるところ

最近、作業療法でハサミの練習をやった息子。
だいぶ出来るようになったと思ってしばらく自宅でやっていなかったら…
全然出来てませんでした。
出来なくなってました。
まっすぐ切れてないし、親指のはらが下を向いた状態で切ってるし。
おかしいの。
本当にがっかり。
やっぱり手先が極端に不器用。



最近自宅でハサミを使う練習していなかったし、療育クラスでもまったくやってない。
幼稚園も運動会の練習ばかりだっただろうから、ハサミやってないんだろうな。
いつかは普通に使えるようになると思うけど、ちょっと恥ずかしいレベル。
年齢相応には使えてない。



ハサミもできないくらい手先がアレなんで、お箸も使えてないっぽい。
自宅では嫌がるし、お箸をテーブルに置いても絶対に使わない。
エジソン箸を毎日お弁当袋に入れてるけど、「お箸使った?」って聞くと「使ってない」って答えが帰ってくるのよね。
切ない…




年長になったら、お友達にバカにされたりしちゃうのかな?
もしそんなことがあったらかわいそうだなとか思っちゃう。親だからね。
息子はバカにされたことすら、気が付かないかもしれないけど。
変にプライドだけは高い息子だから、お友達や先生に言われたら頑張るかもしれない。
最近手先の練習は後回しになってる。
おりがみも簡単な飛行機すら折れないし。




それと現在4歳10ヶ月の息子ですが、未だに夜おむつを付けて寝ています。
おねしょも週に1〜2回してる。
最近寝る前にトイレに行かせると、おねしょをしなくなりましたが、少し前までは寝る前にトイレに行かせていてもおねしょをしてたから、膀胱が大きくなってためられるようになったんですかね。



最近、療育と習い事、自分の仕事で手一杯で、家ではのんびり過ごしていて、療育っぽいことしてないのよね、私。
就学まであと1年5ヶ月。
焦ってどうにかなることではないけれど、のんびりもしてられない。