『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治
を最近読んだのですが、いろんな意味ですごい本ですね。売れている本ということもあり、ずっと気になっていたんです。
私が読みやすいと思った位なので、読んで理解しやすい文章、内容だと思います。ただ内容が重いです。
なんとなく理解はできたのですが、じゃあ本当に今困っている子は具体的にどうすればいいか?っていうのは別の話なんですよね。
この本を読んで、息子が療育を受けていた頃の事を思い出したんです。
息子が幼児期にお世話になった療育施設では、模倣遊びやワークをほぼ毎回やっていたんですけど、就学に向けて必要な訓練の1つだったんだなと、この本を読んで気が付きました。
例えば先生が絵のお手本を書いて、お皿はあらかじめプリントされているんだけど、そこにグルグルスパゲティの麺をクレヨンで描いてみよう!とか点と点をクレヨンでつなげる。とかね。あとは動作の模倣とかもね。
親としてはこんなことに意味あるんだろうか?とか思っちゃうんですよ。親は大人だからできるし、教育のプロではないから。口には出さないんだけどこの課題3回目だけど、まだやるの?みたいな。
何故こういう訓練を療育でしていたのかというと、この本の作者の方の言葉を勝手に借りて申し上げると
すべての基礎となる認知機能の支援になるから
だと思います。
学校では
勉強についていけない
黒板に書いてあることをノートに書き取れない
授業に集中できない
漢字が覚えられない
計算ができない
というのが著者の先生が受ける小2〜3の児童の相談であるのだそうです。
認知機能がなぜ重要かというと、学習の土台となる基礎的な認知能力(写す、見つける、数えるなど)が弱いと勉強についていけなくなるから。
例えば国語なら、簡単な図を見ながら正確に写すことができないと、形を認知する力が育っていないので漢字が覚えられない。
でも学校では、ひたすら書くとか計算するとかできないことをやらせがちなので、勉強がどんどん嫌になってしまう。
もう一つ気が付いたことが、療育施設では礼儀や人とのやりとりを重視しているところがありましたね。
挨拶や「ください、どうぞ、おねがいします、ありがとう」みたいな言葉を、こういう場面はこうする、この言葉を使うっていうのを、優しく丁寧に教えてくれるんですよ。
人とのやりとりを結構しつこくやってるなーっていう印象を私自身は持っていました。
気持ちを人に伝えるというのも根気強くやっていましたね。
それプラスきちんと人の顔を見て話す。
順番守らないとトラブルになりますから待つこととか、自分の意思とは違うことをやらないといけないときに、気持ちに折り合いをつけるとかね。
トラブル防止や相手に誤解されない、自分にとって不利にならない振る舞いの超〜基本をやってくれていたように思います。
学校に入ると社会性(対人スキル、感情コントロール、対人マナー、問題解決力)は先生から特に教えてもらえませんし、そんな授業もありません。
感情のコントロール、挨拶、お礼、人にものをたずねるなど、定型のお子さんが自然に身につけられることも、発達障害があったり、境界知能だったりすると、自然に身につけるのが難しく、身についていないことで問題行動につながることもある。
療育施設は学校での複雑な人間関係、コミュニケーション、生活を乗り切るための、最低限のスキルを身につける場所だったんだなと思うんです。
発達が遅いお子さん、障害があるお子さんなどが療育を受ける事は、その時は何をやってるのかわからなくて、成果が出なくても、長い目で見たら実は本人や社会の為になっている。
それが療育なのかもしれません。
息子が一人っ子なのは、もしもう一人子どもがいたとして、その子も発達障害だったら私の手にはとても負えないから。
たかが週1回でも、親子で療育に通うのは本当に大変でしたし。もうあの日々をもう一度やるのは気持ち的に無理。
そういえば息子は、遊びたくて、先生から褒められたくて、おやつを食べたくて療育に通ってたんですけどね(笑)
余談ですが
この本を読んだ後に、瀧本哲史さんの『2020年6月30日にまたここで会おう』を読みました。
内容や読者の対象、目指しているところが違いすぎて頭が混乱しました。
息子には瀧本さんの言葉が理解できるくらいの能力になって、自分で考えて行動できる人になってもらいたいのですが、、、
学びたいとかやる気などは本人次第だと思うので、親としては自活して平和で充実した生活を送ってくれてれば充分です。